県の沿革
・慶応4年/明治元年3月19日(1868年4月11日):神奈川奉行所が明治政府の管轄となり、横浜裁判所に名称変更する。
・同年4月20日(同年5月12日):横浜裁判所を神奈川裁判所に名称変更する。
・同年6月17日(同年8月5日):神奈川裁判所を神奈川府に名称変更する。
・同年9月21日(同年11月5日):神奈川府を神奈川県 司法書士事務所紹介 |頼れる司法書士を無料で紹介に名称変更する。
・明治4年7月14日(1871年8月29日):廃藩置県により、六浦藩を六浦県、荻野山中藩を荻野山中県、小田原藩を小田原県に名称変更する。
・同年9月:六浦県を廃して、神奈川県 司法書士事務所紹介 |頼れる司法書士を無料で紹介に統合する。
・同月:荻野山中県、韮山県を廃して、荻野山中県の全域と韮山県の旧相模国・伊豆国に属する地域を小田原県に統合する。
・同年11月14日(同年12月25日):小田原県を足柄県に名称変更する。
・1876年(明治9年)4月18日:足柄県を廃して、足柄県の旧相模国に属する地域を神奈川県 司法書士事務所紹介 |頼れる司法書士を無料で紹介に統合する。
・1893年(明治26年)4月1日:多摩3郡(北多摩郡、南多摩郡、西多摩郡)を東京府へ分離する。
東部:多摩丘陵・三浦半島
多摩川と境川にはさまれた県内東部の地形を特徴づけるのは多摩丘陵を中心とする丘陵地形である。東京都多摩地域南西部から続く多摩丘陵のうち、県内に属するのは南部の標高70-90m ほどの低位面である。東京湾側斜面と相模湾側斜面とを分ける分水界は西に偏しており、東京湾側では多摩川支流の三沢川や五反田川、鶴見川とその支流の恩田川、さらに帷子川や大岡川などによって、また相模湾側斜面では境川支流の柏尾川とその支流によって樹枝状に侵食された谷(谷戸)が分布する。
川崎市高津区南部から横浜市港北区・鶴見区・神奈川区にかけての高台はこの丘陵面よりも一段低い標高40-60m ほどの洪積台地で、鶴見区内の地名から下末吉台地と呼ばれる。横浜市中部の野毛山・久保山や根岸台などの高台も同じ堆積面と考えられ、また多摩川対岸の武蔵野台地南東部の荏原台や淀橋台とも対比される。多摩川は北の武蔵野台地と南の多摩丘陵・下末吉台地の間を流れ、沖積低地を形成する。川崎市川崎区と東京都大田区南部(蒲田・六郷・羽田地区)にかけて三角州を形成しているが、人工的な地形改変が著しい。
多摩丘陵の主稜線は、横浜市の最高地点である円海山 (153m) ・大丸山 (156m) を経て三浦半島に続く。三浦半島はそのほとんどを三浦丘陵によって占められ、これを侵食する小河川沿いに開けた谷戸に鎌倉、逗子、横須賀などの都市が分布する。しかし平坦地が乏しいために、横須賀では早い段階から丘陵上にまで市街化が進み、他の地域でも高度経済成長期後半以降大規模な地形改変による宅地開発が行われている。横須賀市南部の平作川の河谷付近よりも南では衣笠断層や北武(きたたけ)断層、武山(たけやま)断層など、西北西 - 東南東方向に伸びる活断層が並行している。この活断層群は浦賀水道を挟んだ房総半島南部まで続く。半島南端の武山断層以南の三浦市では大きく分けて3段の海岸段丘が発達し、段丘面上には平坦地が広がる。段丘を樹枝状に侵食する河谷の末端は沈水して、小網代湾や油壺湾などの溺れ谷が分布する。
地形
県域は中央部を南流する境川と相模川によって大きく東部丘陵地帯(境川以東)、中央部低地帯(境川-相模川)、西部山地帯(相模川以西)に分けられる。海岸線の長さは約430km に及び、変化に富んでいる。